まず成年後見にはまったく関係ない話からはじめます。
このところ自宅の本棚から梶井基次郎の「檸檬(レモン)」という文庫本を引っ張り出し、
電車に乗っているときなどに読み耽っています。30数年前の高校時代に少し
不良がかった現代国語の教師が、この「檸檬」という短編を日本の近代小説の
中で一番美しい短編と言っておりましたが、思うに、宮澤賢治の「やまなし」や
「銀河鉄道の夜」などとともに、基次郎の作品はその文体の美しさで極光のように
輝いています。
さて、基次郎は冬によたよた歩く蝿や清流になく河鹿や八百屋のレモンをじっと
見つめることでその小さな世界から大きな世界を照射する物語を創り上げましたが、
われわれの行う日常の仕事も小さな仕事の累々とした積み重ねであり、
気付いたときにはそれが大きな仕事になっていることがあります。
成年後見の仕事もその多くは小さな仕事の累積です。その面においてとても地味な仕事です。
しかし、被後見人のための後見人の小さな行為の積み重ねが「権利擁護」となっていきます。
また、小さな仕事の継続は、ある種の祈りに通じる面、「働くことは祈ることである」に通じる
ところをもっています。
私が関わりのある被後見人さんに来月地デジ対応のテレビを買わなければなりません。
しかし、この方が果たしてちゃんとリモコンを操作できるのか心配です。
家電販売の親父さんとこれについてどうするかいま検討しています。
仕事は小さいのですがとても重要な仕事のように思います。